アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所(アウシュヴィッツ博物館)
2018/12/31 Mon. 00:02 [2018晩夏 クラクフ・ワルシャワ]
※旅行から戻って3ヶ月、旅行記として記録するにはあまりにも辛い場所でしたが、昨今の自国民を偏重し他者を排斥する風潮が強まる中で「過去の事実を直視する」ことの必要性を感じ、自分自身のために今回の記録として残すこととしました。
クラクフからバスで1時間半ほどのオシフィエンチム市に、第二次世界大戦中のナチス・ドイツの強制収容所「アウシュヴィッツ」があります。アウシュヴィッツ第一強制収容所の建物はほぼ当時のまま保存され、博物館として公開されています。
日本人ガイドのツアーに参加希望でしたが、3か月前には申込で一杯だったのでサイトから英語ツアーに申込ました。日本語ガイドブックを購入し、トイレを済ませた後に荷物検査を受け、14時のツアー開始まで集合場所で待機します。
当日は、ポーランド人の女性ガイドがつきました。各自ヘッドフォンを手渡され、ガイドの説明を聞きながら博物館内を見学します。
収容所入口のゲートを通過。
有名な"ARBEIT MACHT FREI"(働けば自由になる)
収容所の建物が見学施設となっています。
建物の中に入ります。当時の写真やガス室に関する展示、他の建物では没収された品々が展示してあったり、収容者の部屋や施設が再現されていたり。ガイドの説明を聞きながら、ただただ言葉もありませんでした。
銃殺刑が行われた「死の壁」。
収容施設とポプラ並木。一見、赤煉瓦の建物が整然と並び、落ち着いた雰囲気に見えますが、
収容施設の周囲は有刺鉄線が二重に張り巡らされ、
当時は220Vの高圧電流が流されていました。
そしてガス室。第二収容所であるビルケナウのガス室と焼却炉が始動した後は、焼却炉と煙突は解体されたそうです。現在は、復元された状態で見学することが出来ますが、見学者はみな無言で天井に開いた穴を見上げていました。ここからチクロンBがふりこまれ、殺人ガスとなって・・・。展示室で聞いた説明が、事実として自分たちの目の前にあるのです。
博物館ツアーはこれで終了、その後は無料の循環バスに乗って第二収容所であるビルケナウを見学します。
クラクフからバスで1時間半ほどのオシフィエンチム市に、第二次世界大戦中のナチス・ドイツの強制収容所「アウシュヴィッツ」があります。アウシュヴィッツ第一強制収容所の建物はほぼ当時のまま保存され、博物館として公開されています。
日本人ガイドのツアーに参加希望でしたが、3か月前には申込で一杯だったのでサイトから英語ツアーに申込ました。日本語ガイドブックを購入し、トイレを済ませた後に荷物検査を受け、14時のツアー開始まで集合場所で待機します。
当日は、ポーランド人の女性ガイドがつきました。各自ヘッドフォンを手渡され、ガイドの説明を聞きながら博物館内を見学します。
収容所入口のゲートを通過。
有名な"ARBEIT MACHT FREI"(働けば自由になる)
収容所の建物が見学施設となっています。
建物の中に入ります。当時の写真やガス室に関する展示、他の建物では没収された品々が展示してあったり、収容者の部屋や施設が再現されていたり。ガイドの説明を聞きながら、ただただ言葉もありませんでした。
銃殺刑が行われた「死の壁」。
収容施設とポプラ並木。一見、赤煉瓦の建物が整然と並び、落ち着いた雰囲気に見えますが、
収容施設の周囲は有刺鉄線が二重に張り巡らされ、
当時は220Vの高圧電流が流されていました。
そしてガス室。第二収容所であるビルケナウのガス室と焼却炉が始動した後は、焼却炉と煙突は解体されたそうです。現在は、復元された状態で見学することが出来ますが、見学者はみな無言で天井に開いた穴を見上げていました。ここからチクロンBがふりこまれ、殺人ガスとなって・・・。展示室で聞いた説明が、事実として自分たちの目の前にあるのです。
博物館ツアーはこれで終了、その後は無料の循環バスに乗って第二収容所であるビルケナウを見学します。
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